(金原)明善記念館

散策中

2010年05月19日 12:44


   明善記念館

 連休前の、日曜日に、安間町にある明善記念館をのぞいてきました。
 ご存知の方も多いと思いますが明善とは、金原明善のことで、彼は暴れ天竜(川)と言われ多くの水害を引き起こしていていた天竜川の治水を政府が十分に動かないので不足を私財を投げ打って、まさしく命がけで行ったことで知られる明治の豪農の事業家です。
前から、紹介したいと思っていましたが、少し前、新聞で明善記念館が老朽化のため解体が検討されていると言う記事を見て、気になって行ってきました。
まずそのことを館の方にお聞きしたところ、建物は築50年ということで、解体し駐車場にしてはと言う話もあったそうですが、鉄筋の建物で、展示部分だけが一部2階という構造なので、もうしばらくは今の建物に手を入れて展示していくことになったそうです。


   金原明善の生家
それよりも、記念館の道を隔てた北側にある金原明善の生家が老朽化が進んだのと耐震化のため全面的に解体修理されるそうです。
まだ行ったことがない方は、今の内に、ぜひ生家を見に行かれると良いすよ。
解体修理は、かなり時間が掛かるようです。
修理が終わったら記念館の展示の一部が、生家の方に移されるそうです。

また生家と記念館の前の旧東海道も整備されるそうで、その間は来てくださる方にご迷惑をおかけしますがと言っていました。

金原明善の生家は、暴れ天竜と言われた当時の天竜川が氾濫し水に浸かったときに備え、2階建てになっています。
その当時の天竜川は、氾濫すると、今の天竜川町や和田町までも水が来るまさしく暴れ川だったそうです。


明善翁(おう)が生前に使われていた鞄や足袋など身の回り品や、手紙や写真、手広く行っていた事業の関係書類などが展示され、明善翁は、いつも箸を持ち歩き割り箸を使わなかったなど、興味深い記述もいろいろありました。




場所は、浜松から浜松アリーナの前の旧東海道(152号線)を東へ天竜公民館を超えて安間川を渡ってすぐ2つに分かれる南側の旧道を100mほど行ったところです。

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